このブログは(いつもどおりに)ネタバレをさほど気にせず展開されます。ぜひご鑑賞後に再度ご来訪ください。
映画『おばあちゃんと僕の約束』公式HP
また以降、作品やタイトルに関しての考察が入ります。それはあくまで個人的な感想や意見をつづったものであり、そうである、と断定するものではありません。
というわけで「おばあちゃんと僕の約束」の感想を
バンコクに住む20代の青年エムは「ゲーム実況で生きていく」と大学を中退したものの(当然ながら)ゲーム実況では食べてはいけず、母と二人で実家暮らし。
「家を出たい」が先立つ物がないエムは、従兄弟のムイが介護していた祖父の死後、なんと家を譲り受けたことを知り、ある計画を思いつく。
末期がんで余命一年を宣告されている祖母の世話をし、彼女の財産を(できれば家を!)お譲りいただくことはできないか……。
こうしてエムはそれまでさほど気にかけていなかった祖母に急接近し、彼女の好感度を高めようとする。
タイ本国版のタイトルは「Lahn Mah」。なんと「孫と祖母」という意味だそうで、この映画の制作会社であるGDHのブランド力がなければ、さすがに許されないタイトルだと思います^^;
そこまでの認知度がない日本では、このタイ版のタイトルに少し作品内のエピソードを加えて色をつけ「おばあちゃんと僕の約束」に。
英語版のタイトルは大きく変わって「How To Make Millions Before Grandma Dies」
直訳すると「ばあちゃんが死ぬ前に100万稼ぐ方法」くらいでしょうか。
僕はこの英語版のタイトルが皮肉が効いてて良いと思っていたのですが、視聴直後は「だいぶピントを外したタイトルじゃないかな?」という印象に(いったん)変わりました。
すでに述べたように、優しいものの怠惰な青年でもあるエムが、ムイと同様、遺産目当てで祖母に近づき、祖母と同居するようになるのが第一幕。
とても印象的なのは「曲」
というよりも「音」でしょうか?
「ぽん、ぽん、ぽん」みたいなシンプルかつ似たようなフレーズが、散発的に作品にアクセントを加えていくこと。
始まったと思ったら、盛り上がることなくフッと消えるこのフレーズが、突如、始まった孫と祖母の共同生活の噛み合わなさを象徴しているように感じられます。
2幕の序盤、蚊帳の中で寝ていたエムが、おばあちゃんを中に招きいれるところで、このフレーズはメロディになり、ここでようやく2人の共同生活が、とりあえず落ち着くところを見つけたことを印象付ける。
転がり込んだのはエムなのに「受け入れる」のがエムの方だというのが、わりとこの映画で重要なポイントだと思っていて……。
この「音」はその後も作品をコンスタントに散発的に支え続けていくんですけど、メロディとして流れるパートはほとんどが、おばあちゃんが家族の誰か(ほとんどの場合はエム)に受け入れられるシーンで流れている(ように記憶しています)。
もう一つ特徴的だったのが「空」。おばあちゃんはバンコクの(おそらくは)旧市街にある狭い路地の老朽化した狭い家に住んでいる。
ここまででも窮屈なのに、彼女の家を覆うのは、青空はおろか光化学スモッグの淀んだ空ですらなく、近くにあるのだろう近代的なビルの壁。とてつもない威圧感をもっておばあちゃんの家の空を覆っている。
おばあちゃんが家を構えた時はなかったビルに押しつぶされそうになりながら、おばあちゃんは今もつましく暮らしている。
元から大きくはない家は、暮らした月日で溜まったよく分からない物で溢れてて、ことさらに窮屈に感じられます。
親元を離れた3人の子どもは顔を見せに来てはくれても長居はしない。けど、おばあちゃんはそんなことでは怒らない。自分だって、自分の家庭の問題に手一杯だった過去を持っているから。それでもほんの少しだけ寂しそうな表情はする。
トランプくらいやってやればいいじゃないかよ、数回やっても一時間もかからないよ。と見ている間は思うけど、さて自分がこの場にいたらどうだろう?長男のように理由をつけて立ち去るか、エムが以前していたように視線はスマホに、相手の話はただあいづちを打つだけ、という感じではないのだろうか。
それでもおばあちゃんは子どもたちが集まる予定の日になれば、路地の脇に置かれたベンチで彼らが来るのをぽつんと待っている(俯瞰で撮ったおばあちゃんのか弱い感じが、とても痛々しい)。来ないと聞くとやはり少しだけ(いや結構)気落ちする。
そんなおばあちゃんの口には出さない寂しさや一緒にやりたかった事を、自分勝手な動機があったにせよ、エムは持ち前の優しさと、たっぷりとある時間を武器に嫌味なく鷹揚に受け入れる。
もうすぐこの世を去る事を知っていながら、子供達それぞれの生活を考えると、ワガママを言えない。そんなおばあちゃんの寂しさを、エムは一つ一つ(おそらく本人はそんな気すらなく)拾ってあげる。
この映画のクライマックスはほんの一瞬、ほんの一言で終わってしまって、だからこそ胸に迫るシーンになっている(一瞬でも迷ったらあの決断はできないと思うので)。
おばあちゃんは頭上に青空が広がる広い家を手に入れた。
彼女がポツリと漏らしたように「人があつまる」広い家を手に入れたけど……。
でもエムは劇中でこんな感じのことを言っている。
「死んだら人は土と水になるだけだ」と。
おばあちゃんがこの世を去った後になって、人の集まる広い家をあげたところで、おばあちゃんには判らない。おばあちゃんには伝わらない。そのことをエムは判っている(はずだ!)。
「広い墓には人が集まる」という教訓めいた言い方で「会いたい」という気持ちを吐露していたおばあちゃんの気持ちを本当の意味で受け入れるには、おばあちゃんが生きてる間に、もっと一緒にいてあげるべきだった。
英語版のタイトル「How To Make Millions Before Grandma Dies」は
そんな後悔を表現したのかもしれないな。
と感じました。
また次の作品で
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