タイBL、タイドラマに浸かる日々|サバイなブログ

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タイ映画。純愛?呪い?『Dew あの時の君とボク』

Bad Buddyに出演しているOhmさんが主演(の一人)をつとめたタイ映画『Dew あの時の君とボク』

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あたらめて予告を見ていると、僕の勘違い、早とちりだという事がよぉっく判るのですが^^;

視聴前に思っていたのとだいぶ様相の違う内容でした。

物語の始まりは1996年。(おそらく)チェンマイ近郊の田舎町に暮らすPopくんは転校生のDewと出会う。

定番の学園タイBLっぽく始まったこの映画。

その後、10分位で「HIVがこの地方でも広がっている」という情報を受けての矯正施設の存在が語られて、早くも定番路線から外れていきます。

なんとなく……ではなく、現実の脅威に根ざした差別や偏見がある中で、互いに惹かれ合う2人の男子の苦しい恋模様を描いていくのか。

もしくは「ある少年の告白」のように矯正施設の実態に焦点を当てた社会派路線に舵を切るのかと思ったら(ここに切り込んでほしかったと個人的には思ったり)どちらにも大きく踏み込まず、Dewくん発案で駆け落ちを提案。

少し脱線となりますが……。

Dewが駆け落ちを提案するこのシーン。ロケーションもいわゆる分かれ道になっていてシーンのテーマ(このままどおりの人生を渋々続けるか。2人で新しい人生を始めるかの選択)を補強しているんですけれど、Y字路とかT字路ではなく、トの字の近いんですよね。

正しいとされる道は明確に示されていて「新しい人生を始める」という選択は時代の空気を反映したのかハッキリと横道扱いのが印象深いです。

横道に踏み入れる事を一旦は却下したPopだが考えを変えて家を飛び出し駅へと向かう。

ところが!

Dew君は自分で提案をしておきながら、ママ(数々のタイBLで理解あるママを努めている方です)に「行かないで」とお願いされたらビビってしまって「行けない」と前言を撤回。

親に勘当されて家を出てきたPopは「話が違う」と激怒する(当然)。

「せめて今日はウチに来なよ」とDew君が言うのかと思ったらそんな事もなく……。

Popはひとり田舎町を出ていく事になったのでした……。

 

からの飛んで20年強(これも驚いた)。

大見得切って家出したPopさんもいまや30代後半。男子と駆け落ち寸前までした過去を封印し、妻と一緒に帰省して母校の臨時教員として赴任する。

お前勘当されてる割にフランクな帰省だな?

という物から始まって多くの疑問が吹き出しの中に浮かぶ中、受け持ちの生徒が遅刻して登場。

あ、なるほど。Dewさんもいっときの激情から冷めてパパになったのか……。

と思ったら、いつまで立っても中年になったDewさんが現れない。

しかし明らかに女性生徒の言葉にはDewの片鱗が感じられる。

これはまさかの……。

と思い始めたあたりからPopさんも「彼女はDewの生まれ変わりではないか?」という疑惑を強めていく。

生まれ変わり、という事はDewはすでに死んだのか?でもってそれをPopは知っているのか?なぜに?

という多くの疑問の吹きだしが浮かびあがるのを、以降暫時「これはこういう事でした」「カレはこうしていたのでした」という事実で潰してく展開はスリリング。

Love of Siam(邦題:ミウの歌)を作ったベテランだけあって、視聴者の思考、感情を巧みに誘導していく演出手腕が冴えてます。

 

Popも彼女も「Dewの生まれ変わり」だと信じるに至った事は描かれているけど、語り手として「彼女は本当にDewの転生した姿なのか」に明確な答えを出すのを避けているような印象も受けました。

だからPopが再びすべてを失って、Dew(と信じている女性)と駆け落ちを実現するラストシーンも(個人的には)2人がついに結ばれた感動的な結末というよりは、妄執に取り憑かれて全てを失った悲しい末路。

のように感じられました。

高校時代の2人のエピソードに、あまりキラキラとした瞬間が描写されていなかったことで「人生で一番幸せな時間だった」といいう大人Popの述懐が、あまり説得力を持たなかった事も結末に全面的に同意しづらい部分なのかな、という印象です。